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2017年07月19日 (水)

特集|🇫🇷 パリを訪ねて 2017

トラベル

#03-1コルビュジエ住宅を探訪

特集|🇫🇷 パリを訪ねて 2017
まだ、気候のよかった5月の終わりにパリを訪ねました。とは言っても、おもに滞在したのはパリのとなり町「ブローニュ=ビヤンクール」。実は、この町・・・世界的な建築家ル・コルビュジエが晩年、暮らしていた町なのだそう。初期の作品が今でも残っていると知り、その軌跡をたどってきました。

#03|コルビュジエ住宅を探訪

「近代建築の巨匠」の一人と言われる、 Le Corbusier(ル・コルビュジエ)は、スイス生まれのフランス人建築家。建築を学ぶひとの間で知らないひとはいないのでは?というくらい、日本では広く知られています。

特に、1931年竣工の『サヴォア邸』は、コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」を体現した代表作として有名です。

※ちなみに「近代建築の5原則」は、「ピロティ」「屋上庭園」「自由な平面」「水平連続窓」「自由な立面 」   の5つ。

サヴォア邸(Villa Savoye,1929~1931)/竣工時:コルビュジエ43歳

石やレンガを積み上げて、装飾的な様式建築をつくるのが当たり前だった時代に、『鉄筋コンクリート』を用いて、機能的かつ合理性を信条とした建築を提唱しました。「住宅は住むための機械である」という言葉は、コルビュジエの建築思想をよく表していると思います。

そんなコルビュジエは、40代後半から亡くなる77歳までを、ブローニュ=ビヤンクールにあるアトリエ兼住居で暮らしています。そして、この辺りにはコルビュジエが設計した住宅が今でもあると知り、その軌跡をたどってきました。

コルビュジエの生い立ち

と、その前にコルビュジエの生い立ちを少し。

ル・コルビュジエ(本名:シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は、1887年スイスに生まれています。当時、日本は明治20年。激動の幕末維新の時代を終え、近代化が推し進められていた明治の時代です。ちなみに、わたしの曾祖父と同い年でした。

今から130年も昔のことです。

時計職人の家系に生まれ、家業を継ぐため地元の装飾美術学校へ行くも、視力が弱く(これは時計職人として致命的なハンデだったそう)、徐々に別の道を模索し始めたのだとか。

美術学校在学中、建築家ルネ・シャパラとともに住宅の設計を手がけたのを機に、建築の道を歩きはじめます。

1908年(21歳の頃)にパリへ行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者オーギュスト・ペレの事務所で働きはじめると、1910年からはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスのもとでも、建築を学びました。

ドイツ工作連盟は、20世紀初めにドイツで設立された団体。建築家やデザイナーが参加し、近代社会にふさわしい芸術と産業の統一を構想した。

第一次世界大戦中、一度スイスに帰国するも、戦争が終わると 1917年(30歳の年)にパリに戻ります。1920年には、詩人のポール・デルメ、画家のアメデエ・オザンファンとともに、芸術誌『レスプリ・ヌーヴォー』を創刊。自らメディアを持ち、自分の考えを精力的に発信し始めます。

この頃、同じ思想をもつ芸術家たちが、小さな集団をつくることはよくあったことみたい。特に、ブローニュ=ビヤンクールは19世紀後半から賑わいをみせ、実業家や文化人、また彫刻家、画家など多くの芸術家たちも移り住んでいたのだとか。

その後、1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所を構えると、1923年(36歳の年)には、芸術誌『レスプリ・ヌーヴォー』に、著作『建築をめざして』を発表。世界中の建築家から注目を集めることになりました。

1930年、43歳になる年には元モデルのイヴォンヌ・ガリと結婚し、同年、フランス国籍を取得。

1934年、自ら設計した集合住宅がブローニュ=ビヤンクールに建つと、その上層2階を、自らのアトリエ兼自宅として、妻イヴォンヌと暮らすようになりました。

晩年は機能的なデザインから離れ、曲線の多い自由な造形へと作風ががらっと変わっていくのですが。ただ、今回 訪れたのは30〜40代の頃の初期の作品。どの邸宅も近かったので、散歩がてら歩いて見てまわってきました。

後半へつづきます